078 私と『聖なるズー』

 

 

フラクタルの愛猫家担当、のぞみです。

 
『聖なるズー』を読んだ。

動物を性的な意味を含めて愛しているひとたち(動物性愛者)を取材したノンフィクションで、主にドイツのゼータという動物性愛者団体のメンバーと一緒に過ごし、触れあい、インタビューをした内容がまとめられている。
著者のかたは昔、パートナーから性暴力を含む身体的・精神的暴力をふるわれ絶望して、愛もセックスも軽蔑して、軽蔑したからこそまた絶望して、学術的に愛やセックスを研究しようと思った、とプロローグに綴っている。
 

突然ですが高校生のときに、中学の同級生と同じバイト先で働いてたんです。はじめ私その子、その男の子のことあんまり好きじゃなくって。
中学生のときに仲良くしてくれた女の子がいてね、その子が蛇蠍の如く毛嫌いしてたの。私は別の地区の小学校に通ってて、既に出来上がっていた人間関係の中にポンと入ったので理由が全然わからなかったんですよ、なんでそんなに嫌いなのか。顔を見るのも嫌、って。逆に好きなのかな?ってしばらく思ってた。勘違いだったけど。
 
色々紆余曲折経て推察される(事実かどうかは流石に確認はしなかった)事態としては、その、仲が良かった子のお母さんと男の子、付き合ってた。
 
肉体関係があったかどうかは不明。でもたぶんあったんじゃないかと思う、勝手な想像だけど。そうでなくても自分が家に帰ってきて、同級生の男の子がお母さんとゲームで遊んでたら嫌だろうなとは思う。小学生のときからそんなことがあったらしい。
 
その仲良かった子と離れてしまったら、別に私がその男の子に負の感情を抱く理由もなくなったので、バイト先では普通にしてた。なんだかんだ良いやつで、BUMP OF CHICKENを教えてくれたのもその男の子だったな、そう言えば。天体観測のほんの少し前。
 
私にはそのとき好きな男のひとがいて、その男のひとは割とどうしようもないひとだったんですけど、彼と同級生、男同士で好きなAV談義をしてるのを横で聞いてたことがあった。今思い返してみてもクソみたいなエピソードですね。
私の好きな男のひとは『裏ビデオ』(※無修正という意味です)という見も蓋もない解答をしていたんだけど、同級生は『最近は馬とか』って言っていた。馬(オス)とヒト(メス)の絡みらしい。
 
無修正ものの時点でだいぶ意味がわからなかったけど、馬。馬?!馬……。馬かぁ。
モザイクがあるから気になる、その奥が見たいと思う無修正への気持ちは正直わからんでもないけど、馬は流石に全く意味がわからなかった。念のため両方とも借りて見てみました。
(裏ビデオはモザイクのありがたみがわかった。好きでもない男の勃起したものは見ていて気持ち良いものではなかった)
 
で、馬との絡みという当時15歳の高校1年生にしてはなんかちょっとアレな……2周3周回ってどうかと思う内容についてなんですけど、私には性行為をしてるようにも、交尾をしてるように見えなくて、気持ち悪いとも思わなければもちろん興奮もしなかった。ちなみにモザイクはかかっていた。
 
『うーん、わからん』
 
以外の感情はわかなかった。
それから、中学生にして人妻との交際経験がある男は見てる景色が違うな、と。そりゃド定番の制服もの、複数ものなんて霞むわな、興奮しないわな、と。
 
今回聖なるズーを読んでみて、読んでる最中も読み終わったあとも色々考えてみても『うーん、わからん』って感情がわいて、この高校生のときの気持ちを改めて思い出した。
 
それでも高校生のときよりはそこそこ成長したと思われる私は、言葉と態度、受動と能動、愛と暴力について考えていた。
 
 
・言葉と態度
 
セックスを始めるときに『セックスをしましょう』『はい、わかりました』というやり取りをしたことは、たぶん今までで一度たりともない。
 
『いい?』って聞かれたことはあるかな。でも良く考えてみると、なにがいいのか、主語があった試しがない。でも確かに、雰囲気でわかる。これは『セックスをしてもいい?』の『いい?』だって。片耳ずつ聴いてたイヤホンですごく素敵な曲が流れて思わず興奮して顔を見合わせたときとか、今日は親がいないからって予め言われていた日に部屋で見てたDVDが終わって静かになったときとか、“そうなる”ことがわかるときは多々あると思う。
(※残念ながら私のはなしではないですが)
全てを雰囲気に任せて良いのかと言えばそれも違って、俗にいう良い雰囲気で、笑いながら、やめろよ~!ってくすぐったそうに身を捩って跨がられる男性もひょっとしたら『突然なに?! 疲れてるのになぁ……』って思ってるかもしれないし、その男性の乳首を弄っている女性もまたまた~!って笑いながら『流石に2ヵ月レスは明日の女子会的に厳しい、ネタにされる』って思ってるかもしれない。
 
私が想定しているのが辛うじて好きあっている男女という設定だからどうにかチグハグな状態でもセックスを成立させることができるけど、中にはもちろん同意せざるを得ない状況、嫌な素振りを見せたら殺される場合もある。Twitterでよく見かける中高生向けのハウトゥセックスには必ず“相手の同意を確認しましょう”、“無理に同意をしないようにしましょう”って書いてあるけど、これは相手との立場が対等だからこれで良いんだよね、とは、思う。
 
動物とはどうなのか。
 
もちろん言葉での同意はとれず、かといって態度でイエス/ノーをはっきりと示せているのかわからない。よく犬が足にしがみついてきて腰をカクカクする、って話しは聞くけど、だからといってそれがセックスをしよう、したい、と態度で示しているかは謎。
ただし私も日本でしか生活したことがないので日本的な動物との接し方しか知らないのでなんとも言えないけど、ドイツのゼータのメンバーはたぶん想像も出来ないほど動物たちと密度の濃い時間を過ごしてる。中には障害があり車椅子で生活をしていて、介助犬とパートナーシップを結んでいるひともいた。文字通り四六時中そばにいたら、わかる態度もあるのかもしれない。
 
愛には集中力を使うから余計に。
 
私は動物が性的同意をするところを見たことないけど、そもそもヒトも言葉や態度を偽るから、どっちもどっちなのかな、って。
 
 
・受動と能動
 
本の中で話をしているズーのひとは少し偏りがある。“動物にぺニスを挿入される男性”が圧倒的多数。これをズー・ゲイのパッシブ・パートって呼ぶそう。
 
これは結構意外だったんだけど、なんか勝手に船乗りが長い航海の間カモメを捕まえて致す(※結果的にカモメは死ぬ)、みたいなトンデモ話が先入観として頭にあったからだと思うんですけど、そもそも今これを書いている私が女だということも往々にして影響していると思う。
今のところ挿入するものもないので、セックス=受動。私が積極的に上に乗って動いても、受け入れているのは私だから受動。対して男性は、そう考えると凸凹どちらも備えている(入口じゃなくて出口説には目をつぶる)様子。
 
でも動物のオスもそうなんだよね。
 
話をしているゼータのズー・ゲイの皆さんが挿入をするアクティブ・パートをしないのは、強すぎる倫理観がそうさせているらしく、実は聖なるズー(セイント・ズー)という言葉は書籍の中で揶揄いの意味で出てくる。
動物と対等であるためには、パッシブ・パートをすることが必要、とも読めた。
対等であるっていうのは、物理的に傷付けない、動物を使役するわけではなく、愛し合っているって意味かな。
でもパートナーが誘ってくるからセックスをする、というズーのひとがほとんどだったんだけど、例えば聡い動物が被支配者としての振る舞いでヒトの性欲を感じて実施した行為だったらどうするんだろう。そのときの能動とは?受動とは?
 
ズーのひとのパートナーはほぼ大型犬か、馬に限定されるらしい。(ドイツでは)身近な動物だから、っていうのもあるんだろうけど、人間の体格を受け入れる/受け入れられる動物がパートナーになるらしい。
セクシュアルな快感よりもパートナーシップを得る行為に惹かれるから動物とのセックスが好き、という文言もあった。結局セックスありきで動物を選んでいるのかな?ちなみに猫の舌はザラザラしててオーラルセックスには不向き、みたいなことも書かれていた。でも私がズーなら猫を愛してしまう気がする。人間なら既婚者でも教師でも友達の恋人でもきょうだいでも恋に落ちる場合があるのに、動物でも限定的なんだなぁ、と感じた。
 
対等ってなんだろう。
 
『相手を丸ごと受け入れることができる自分と、パートナーの性的満足に充足感を見出だしている』という一文があって、線を引いていた。
 
 
・愛と暴力
 
受け手の認識次第なんだろうな、と思う。と、しか言えない、というか。愛されている、も、暴力を受けている、も。実施をした側の言い分は意味を為さない。
 
 
ちょっと前にZONEっていうコンドームをおすすめされたので見てみた。ゴム感がない、ゼリーがたっぷりついてるコンドームらしい。黒地のパッケージの中心が銀色になってて、黒字でZONEって書いてあるの。
銀色の部分が光に当たると、メタリックな赤だったり緑になったりしてきれいでしばらくパッケージをくるくる回していた。
 
モノの見方、と言ってはそれまでなんだろうけど、銀も赤も緑も全部見たいし、全部受け止めたいとは思ってる。