079 私と『看護師が「書く」こと』

 

フラクタルの緑のある生活担当、のぞみです。
 
しばらく大切に『看護師が「書く」こと』という本を枕元に置いていました。3月に出版されて、すぐに読んで、それから本棚にしまわずにそのままたまにパラパラめくっては閉じてを繰り返しました。寝るときに枕元に置いておくのにすごく落ち着く色だしね。好きな男子の夢を見たいときにおまじないで枕の下に男の子の写真を置いたことはあるけど、今回そんな意図は全くない。著者の宮子あずささんの夢を見たとしても(※帯に顔写真が載っていらっしゃることですし……)恐らく夢の街中ですれ違ってもわからないことだろうしできたら講演会に行ってる内容とかだといいな、それだったらわかるし……と思ってます。早く本棚に片付けたほうがいいな。でもなんとなくできないな。と思っていました。
 
最近色々なことを考えて、色々なことをインプットして、ついでにアウトプットもしてるけど、これが本当に私が書きたいこと、そして求められてるものなのかな?って思ってるからなんだろうな。
最近は訪問看護師として看てきた利用者さんとのナラティブをもっと表現したい、なのに出来ないことへのモヤモヤが募る。
すんんんごい労力使うよね、本当にあった話を文字にするのって。前に木蓮の涙のはなし(073 私とMagnolia)書きましたけど、あれ実は続きが、要するにその利用者さんが亡くなったときに書いたものがあるんだけど、あれもどうしたもんかなぁ……と思ってる。表に出して良いものなのか……(だいぶ書いてるときテンパってたから出すなら修正というか調整は必要そう)
 
本を読んでく中で、やっぱり看護師としての視点、看護師だから見えた景色っていうところは本当に大切にしたいと感じた。
主観的情報と客観的情報を分けてそれを統合してアセスメント(評価)をするところも、見て・聴いて・触って・嗅いで・感じたこと、ひとを取り巻くこと全部(環境や社会も全部、ぜんぶ)が看護の対象だってところも。
 
私は、看護師が「書く」ことって、“ひと”が“ひと”であることを全部受け止めて、引き受けていく優しさや温かさの営みだと思ったし、そういう「書く」をしたいと思った。
 
帯から優しく私を見つめる宮子さん……まるで『愛のある文章を書くことは、寛容さにつながります。実は大した存在ではない人間への、温かい見方を私は大切にしています』と言っているかのよう……(※帯に書いてあります)
 
喜怒哀楽でいうと、私の(文章の=考えている=生起される)中でウエイトが高いのは哀だと思ってて、テンションを上げても下げてもハッピー感もイラオコ感もそこまで滲んでこないと勝手に思ってます。わざと露悪的に品がない言葉を選ぶことが多くあるけど、なるべく汚く聞こえないように注意してます。言葉そのものよりも語感やリズム感……要するにノリっスね、ノリ。そういうのを重要視してる。前までは折角だから上手に書こう~ってがんばってたけど、どっかでやめた。心の赴くままに書いて、少し見直しするに留めてます。
 
 
ところで今年の年明け、東京ドームに新日本プロレスの興業を観に行きました。一度行ってみたかったんですよね、1.4(イッテンヨン)東京ドームってやつに。
プロレスを生で観るのは2回目だったんですけど、すごかった。めちゃくちゃ笑ったし感動したし泣いた。
 
で、今年の1.4で第0試合としてスターダムという女子プロレスの団体が提供試合をしてるんです。そこで、木村花さんの試合を見ました。そう、5/22にお亡くなりになったかた。
今年の頭にあんなにピョンピョン元気に試合をしてた、私よりも若い女性が亡くなるって、なんだかやっぱり考えさせられるものがある。
 
テラスハウスとか全然わからないので、彼女のどんな行動が視聴者の誹謗中傷をかったのかわからないし、今のところまだ憶測で『SNS上の誹謗中傷を気に病んで自殺したのではないか?』って言われてるだけで事実はわからない。でも、言葉は誰かを救いもするし容易に傷付けるってことを改めて実感した。
 
『看護師が「書く」こと』の中では、そりゃあもう11ページというドチャクソに早い段階で、悪意がないか点検することを説いてくれています。
 
インスタのストーリーで木村花さんがさいごに残した言葉は『愛してる。楽しく長生きしてね。ごめんね』そして『さようなら』だったらしい。
 
とても、辛い。