あのときの延長線で生きていること
看護師になって2年目の時、2012年。
初めて降り立つ町で働くことになった。住んでいた県の隣だから知ってはいたけど、その県に行くことはなく、いつも通過ばかりしていた。その県にある町。いよいよ降り立ったことがなかった。
なんにもわからない、土地勘がない場所。知っている人もいない。今思えば、よくそこで働こうとしたなって思うけど、そのときはそれが最適解だったんだろう。
4月1日。勤務初日。いよいよ、自分がここで働くのかと思ってものすごくうれしかったのを覚えている。その日の夕方に住民票を移動しに市役所に行った。それもなんか晴れ晴れしかった。
最初は研修で病院や関連施設に行った。その後病棟配属。苦手な部署だったけど、がんばろうと思った。部署に配属され、プリセブターの先輩も色々教えてくれた。でも、とてもとても忙しい部署だったんだよね。全く疲れが取れず、日々覚えることが多すぎて、毎日毎日頭が熱くなっている感じで、覚えられないし仕事できないし勉強できないしって感じの日々。もう夜も遅く、朝も誰よりも早く出勤して、なんか必死にやってた。あんまり周囲に苦しいと言える人もいなかったし、「自分が頑張らないと」って気持ちで毎日働いてた。
でも、無理したのか全く眠れなくなり、さらには気持ちが24時間落ち着かない感じとなり、これはやばいと思って心療内科へ。そしたら「仕事は休むように」と言われ、、、でもそれを隠しながら働いていたのですが、、、結局は出勤できなくなり、休職、退職となった。
わずか働き始めて半年の出来事だった。
休職してから、昼間は散歩するようにした。引っ越したけどまったく街を知らなかったので散策した。そうして、さらに足を伸ばしてみようと、元気なときに足伸ばしたのが、今回話したい場所である茨城県水戸市。
水戸って名前は聞くけど行ったことなかったし、引っ越してすぐの歓迎会で行ってずこいでかい街だなって思った。その水戸を昼間歩いてみたりした。地方都市という感じがものすごく、昔ながらの商店街があったり、駅前はものすごく開発されてたり、いろんな表情のある街なんです。しかも日中だからそれほど混んでもないときに散歩したりしてました。手紙出すのもわざわざ水戸中央郵便局まで行ったりして。
2022年9月。
あの時から10年。
いま思えば、本当に偶然だったんですが、10年前に散歩していた場所を、偶然にも散歩することになりました。
なんの理由もありません。たまたま柏駅で特急を見て「お、水戸にでも行くか」と思っただけ。
水戸に降りて、北口を抜けて京成百貨店へ向かう道を歩き、空を見上げた時「あー、昔もこうやって歩いたな~」って思ったんです。で、さらに思ったんです。「あれ?ちょうど10年前ぐらいじゃないか?」って。
直射日光は暑いけど、風は流れて気持ちが良い。まとわりつく暑さからようやく開放された。空は真っ青。少し空が高くなっている気もする。そして人が少ない。
新型コロナウイルスが広まってからは、ほとんど一人旅はしてないし、なんか街に出るのも怖くなってしまっていた。全然収束しないけど、そんな時代でも水戸の街は大きく変わってはいなかった。コロナと騒いでいる自分だけが変わってしまったのかなと思ったり。
10年前は茨城が大嫌いだった。けど、離れたらなんか好きになっていた。
苦しく嫌な思い出しかないはずなのに、なんか離れられない。なんだろうか。
帰りの特急で、昔働いていた病院が見えました。
「あの時あのまま働いていたら、どうなってたのかな。もっとスペシャリストになれてたのか、それとももはや看護の道を辞めていたのか・・・」
少なくとも、あのときの自分の延長線上に自分がいるんだなと思いました。
生きててよかったな。
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