日本語環境が嫌だったので、私はいつも昼食スペースにいた台湾人の男の子と話すようになりました。
割とおしゃべり好きな人で、メルボルン歴も長く色々教えてくれました。
みんなでカラオケに行ったある日。
彼はトイレに行く私をエスコート。
戻る際、部屋に入る直前に、壁ドンからのキス。。きゃぁぁこれはやばいシチュエーション。
その後、部屋に戻るとその友達から「Congratulations!!」と。。。
ちょっと状況についていけなかったけど、その瞬間から付き合っている事になっていた。
未だに謎なのだが、台湾流の告白って何なのかな・・・。
ただ、私はメルボルンで彼氏作る気はなかったので、
「仲の良い友達だと思っていたから付き合えない。」と言ったら、それはもう付き合ってるのと同じだよ、と。笑
あめーじんぐ。価値観と文化の違いを感じました。
第二言語同士で話す難しさ!!微妙なニュアンスが伝わらない!!
バカな私は、日本じゃ絶対付き合わないし好きにならないタイプなのに、ガンガン押され、まんまとハマる。笑
これぞメルボルンマジック。ダメンズウォーカーは一発KO。
当時の私に言ってやりたい、やめとけよと。笑
これは渡豪1か月半、6月くらいのお話です。
7月。相手からの連絡が激減しました。
バカな私は、引かれるとハマるという、恋愛心理テクニックに弄ばれさらにドはまり。
まじで当時の私に言ってやりたい、目を覚ませと。笑
8月は週1くらいで生存確認のやり取りをするくらい。
ご飯に行く事もなくなりました。
ハマっていたのでショックもあったけど、まぁ異国の地で異国の人と良い経験したなぁと割り切り、
自然消滅という概念が存在するか分からなかったので、きちんとお別れする事にしました。
そうしたら「別れたくない。」「今はちょっと疲れている。」「嫌いになった訳じゃないんだ。」
と、だめんず3大用語を発動。笑
これ、世界共通なんですね。笑
そして切れない私も相当なくそ女。
言葉だけは付き合っていると言いながらも、
結局会わない日々が続きました。
別れた方が楽なのに変に期待させるから、実は結構辛かったのです。
月日は流れて10月。突然の電話で夕飯呼び出し。そこからの、連絡再開。
約2か月の冷戦が嘘のように関係は元通りになりました。
11月。超金持ちの中国人の女友達が家を提供してくれてなんとセレブな生活が実現。笑
便乗して彼も引っ越してきて、3人での生活が始まりました。(私へは何の相談もなく。笑)
これが意外と楽しかったのです。ぎりぎりまで学校や図書館に残って勉強し、帰ってから毎日パーティでした。笑
週末も色々なところへ出かけ、貧乏学生なのにかなり良い思いをさせて頂いたんじゃないかと思います。
もちろん日本語が通じない環境で英語の良い練習にもなりました。
そして12月。
まさかのプロポーズされました。
いやいやいやいや、、、意味わからん。。。付き合って7か月。その内、冷戦3か月。
英語力不十分にて相互理解できていないし。
さすがに早すぎるし。
何やら台湾では元暴走族らしいし。
容姿での判断はしないけど金髪よりも黒髪が好きだし。
そもそも私は日本が好きだし。
メルボルンマジックで今はハマっているだけだし。
一緒にいて楽しかったけど結婚とか正直考えられないし。
という事で、お断りしました。
すると、
「好きなのに何でダメなんだ」
「なんでチャレンジしないんだ、無理だと決めつけるんだ」
「君は間違っている」
「それだから駄目なんだ」
「日本なんかに未来はない」
「また働きすぎて自分を犠牲にする生活をするの?」
「オーストラリアの方が幸せになれる」
「家族よりも自分の人生なんだよ」
おおおお、ぐいぐいくる。
簡単にマインドコントロール、、、されました。笑
最終的にモヤっとが残ったけど自己肯定感も下がっていたし、結婚も何となく焦っていたし。
私も頭がおかしくなっていたのでしょう。
受領してしまいました。
タイムスリップ出来るなら、あの頃の私に言ってやりたい、
まじでやめとけ、、
そんなこんなで、
2月の帰国後、私はオーストラリアに戻る気でいました。