こんばんは^^
本日緊急担当。コールがありませんようにと切願している、フラクタルのさとみです。
最初の記事、とっても迷いましたが、私が看護師を目指すきっかけとなったお話でもしましょうか。。(受容あるかは別として・・笑)
私には、叶わない願いがあります。
それは、祖父とお酒を飲む事です。
祖父は私が中学3年生の頃、クモ膜下出血からの誤嚥性肺炎で亡くなりました。
その頃は 医師からの説明も、看護師の説明も全く理解出来なかったため、頭も気持ちもついていけませんでした。
急変した、との連絡で学校を早退し、名古屋から埼玉へ通う日々。
生死を意識し始めたのはこの頃からです。
受験生でもあり、当時は精神的にも不安定でした。
分からないことが怖い。
長女なのに何も出来ない。
看護師って凄く冷たいし、なんだか偉そう。
おじいちゃんをそんなモノみたいに扱わないで・・・・・。
身体とか、拭いたのいつが最後だろう・・・。
人がもうすぐ亡くなりそうな時なのに、看護師って、こんなにあっさりとしているの・・・?
看護師って、1番辛い時に傍にいて辛い人を支える素晴らしい職業じゃないの・・・?
辛いですよね、の一言も言えないの?
そんな感情がぐるぐるしている毎日。
もちろん私たち家族は病院に対して良い印象をもっていませんでした。
けど、当然医学知識も足りなかったため何も言えませんでした。
祖父の命が途切れた時も、
対応は最期まで変わりませんでした。
死後処置に家族を入れてくれたのが唯一覚えている、良かった点。
でも死後処置の時でさえ看護師の私語は止まりませんでした。
そんなのを目の当たりにしてしまったため、
「そんな看護師を増やしたくない」
「無知って怖い。何かあった時、自分が家族のために力になりたい」と、
看護師の道に進むという選択肢が私の中に生まれました。
こんなに語っておきながら、あくまで選択肢レベル。笑
高校3年生の進路選択の時。
祖父は英語の教師だったこともあり、実は私は昔から海外にも興味がありました。
なので、最後の最後まで進路に迷いました。
私の親族は男性を見る目がなくDVや強烈な性癖の持ち主、モラハラで、私の家族以外は離婚歴があります。しかもバツ数回・・・。
離婚した後の親族の生活は悲惨なものでした。そんな生活を身近で見ているからか、
「女性も一人で生きていける経済力が必要だ」
「英語は独学もしくは後付けでなんとかなる」
という結論に至り、看護学部を受験。そして、現在なんだかんだ、8年目。海外放浪によるブランクちょいちょいあり。
写真の言葉は私が中学1年生の時に、祖父が私に書いてくれたもの。
英語の勉強や試験の場には必ず持っていく、私のお守りとなっています。
父親とはよく飲むのですが、祖父も日本酒が大好きだったため、
祖父もいたら海外に関する話や思いなど、色々な話を聞けたんだろうな、と本当にいつも思います。
でも、それは叶わないので、
お線香をあげる際にいつも心の中で報告しています。
もう18年になるけど、間違いなく今の私を形成した人物。
人は存在を忘れられた時に、2度目の死を迎えると言うけど、
祖父の話はずっと語り継いでいくし、絶やさないつもり^ ^
なのでここにも残させて下さい。
夢物語かもしれないけど、
何十年後かに天国で、祖父に胸張って歩んだ人生を語れるよう、
これからも日々、自己研鑽に励みます。
そんな感じです。私が看護師になった理由。・・・書いといてちょっと恥ずかしい。笑
私は難しい文章や捻った文章は書けないので、そこは他の二人にお任せして(もちろん追いつけるように頑張るけど!!)
しばらくはさとみらしく、日記風に綴ってこうと思います。
[…] 昨日さとみさんが、看護師を目指したきっかけ って記事を書いていて、すごく良いな。って思いました。やっぱりさとみさんは周りを元気に出来るひと。 […]