退職について思うこと

ナスキャリ部

看護師の仕事って病院しかないと思ってた。
きつくて辛くて、ずっとモニター音とか聞こえてて。ナースコール鳴ればビクッとするし、できる看護師さんはみんなバタバタ走り回ってた。

病棟に居場所ないな・・・

そんな風に看護学生時代思ってた。
看護学生の卒業間際なんて、国試の勉強の影響もあるけど、一人前の看護師になれると思ってた。急性期の看護師が一番すごいんだって思ってた。
看護師国家試験を受け、合格して看護師免許を取得。晴れて看護師になったけど、そこからが地獄の日々だった。

けど、就職したらすべてが崩壊した。

仕事ができない。常に緊張の連続。なにを聞かれても答えられず、頭でわかっていても行動できない。
仕事がしたくないわけではない。患者さんに寄り添いたい。誰よりも適切な看護をしっかり提供したい。
気持ちと行動が空回りして、頭が常にパニックになってた。

パニックになって、毎日パニックになってたら、自然と心が壊れていった。

そんな新人時代でした。

退職の理由は「もう続けられない」ってのが本音の大半だった。

退職するにはいろんな理由がある。
けど、いま看護師9年目直前で思うことがある。
「自分のための退職」という選択肢を久しぶりに見つけた。

実は「自分のための退職」は過去にもある。それは「看護学校入学のための退職」の時。
実に明るい理由でした。

今回、病棟看護師を退職しますが、本当にこれに近い「明るい気持ち」で退職する感じです。
今の病院は居心地は悪くない。時間にゆとりがあるので、その時間で勉強やら遊びやらができる。たぶん、この病院にいなかったら、ナスキャリ部の活動もしてなかったと思うし、いろんな人に出会うことはなかったと思う。
研修も受けること無く、普通に毎日をすごしていたと思う。

今回の退職は、このタイミングじゃないと、すべての物事がうまくいかないと感じたから。
焦っているわけではない。けど、来年では遅すぎる。半年後、3ヶ月後でもその後の歯車がうまく回らないと思った。

病棟看護師を辞め、訪問看護師になりたい。
理由は「退院した患者さんの家族の笑顔を見て、自分の知らない世界を発見した」から。

精神科訪問看護の研修を受けたのは去年の秋。実はこの時は「将来的に医者の友達とクリニックを立ち上げ、訪問看護をやりたいから研修受ける」っていう理由だった。
その後、その研修を活かせる場面はなく、ずっとくすぶっていたんだけど、今年の夏、患者さんが外泊行ったときに渡し忘れた薬があったの。
家が近いわけでもなんでもないけど、僕が車で持っていったのね。自宅まで。そしたらさ、家族がすごい笑顔で過ごしてて。ちょうど食事時だったので、患者さんと会うことはできなかったけど、病棟では表情の暗い家族が、とても明るい表情でいるわけ。その時思ったの。「あ、病棟にいる患者さん、すべて背景には親御さんはいるし、もしも自宅に戻れるならこんな幸せな感じですごせるのかな」って。
あとは病棟を退院した患者さんの訪問看護に行ってと言われて病棟から行ったときがあって、僕が訪問したらすごくもてなしてくれるわけ。「お茶飲みます?買っておいたんです」とか「タバコ嫌いでしたよね。灰皿、外に出しておきました」とか。精神科の療養病棟からの退院だから、社会性が失われていくことが多い中、僕の訪問のためにすごくがんばっておもてないしをしてくれた。「社会と患者をつなぐための看護師も必要なんだな」って帰りながらすごく思ったわけ。
もちろん僕の主観しかないから、実際は違うかもしれない。ひどい環境だって、家族の対応がひどかったり、患者さんからのクレームがひどいとかあると思う。それこそ病棟では経験しないような。

看護師の仕事も幅が広いけど、僕ができることって極々わずか。そのわずかな領域の「精神科訪問看護」で地域で暮らす精神疾患の患者さんが社会性を取り戻す力になれたり、心の不調を訴えてくれるような看護師になりたいと思う。

まだ、どこの訪問看護ステーションに勤務するかも決まってないし、なんなら退職の日も決まってないけど、僕の気持ちはこんな感じ。

退職には退職する理由があるってことです。

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