みなさんこんばんわ。
3.11。2011年3月11日。
東日本大震災。
みんながみんな「私は◯◯にいて~」って話になってしまいますが、私も同じように話し始めたいと思います。
私はこの時、福島県会津若松市にいました。
実家は福島県福島市。会津は看護学校がありまして3年間住んでおりました。
4月から福島の実家に戻るため、会津の部屋の引っ越しをしていました。
荷物を積んで、ある程度まとめて、部屋のエアコンの取り外しの相談しにコジマ電気へ行きました。
店員さんと、話している時、ガタガタと揺れ始め・・・ガタガタガタガタ、ドドドドドド。。。。
「あ、これやばいですね」と言って、店を飛び出した直後、お店の玄関の内装が崩壊。。。
あわてて車に逃げ込みました。
すぐに自宅に電話。「すっごい揺れよ~!また揺れてきた!!」と母親。
会津も地面がトランポリンのように揺れる。車に乗ってても危険を感じる。
そして突然の雪。ものすごい雪が舞った。
これはまずい。ってことで、今夜は帰らず道の駅で車中泊。もちろん実家に帰る選択もあったけど、夜は危険だと思って。
車中泊中はテレビを見ずラジオで情報収集。目で見る情報は刺激が強すぎると思って。
でも、「気仙沼が燃えてます」とか「相馬が津波で大変な被害です」とか、NHKのアナウンサーが泣きながらニュースを読んでいるのは、聞いてて辛かったな。
翌日、自宅。
断水、ガスも来ない。唯一電気だけ。
国道4号線、伏拝が地すべりで崩壊。こんな光景、見たこと無く信じられない。
震災後、4月に入って、相馬に行った。どこになにがあったかわからないほどなにもない。
ものすごい内陸なのに、船がある。
船が転覆したまま。
信じられないほどの光景。砂埃の凄さ、そして地盤沈下からか水面が近い。
この年の4月から看護師になって働き始めた。
最初の病院では、避難所で体調不良になった高齢者とかをたくさん見た。
なんだろ、自分の常識が崩れたと言うか、こんなにつらい経験をするとは思わなかった。
看護学生のクラスメイトが1/3が宮城県の人だったので、全員と連絡取れたときは泣いた。
けど、ご家族を探しに海に入り手探りで探す人、姉が見つからず遺体安置所で姉も家族を探しにきて、ばったり再開したという人、川で頭を洗って「久しぶりに洗えたよ」という22歳の人とか。冗談ではなく、僕が受けたメールにはこういう内容が届いた。
3.11。
毎年毎年、胸が苦しくなる。
けど、この年に看護師になったんだよなと振り返る。
看護師になって、8年経って、まだ看護師として働いている自分はすごいな。
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